19、20歳のころ(明大前編(プロローグ))
今日は前職の同期と駒場でテニス。予定参加者はは私の友人と、
彼の友人を含めて4名だったのだが、双方の友人が
来られなくなってしまったため、私はヒビの入った肋骨を
厳重にテープで巻いて固定し参加。
テニスの腕はかなり落ちていた。なによりサーブが入らない。
友人曰く「身体のバランスが悪い」のだそうだ。実際は
「痛くて力が入らない」のだが、それは言い訳。
結局、1時間経ったところでリタイアした。その後は友人の個人練習の
お手伝い(球出しとか球拾いとか。もっともこれはこれでいい運動になったが)。
ひとまず痛む左脇腹を完治させ、次にリベンジしたいと思う。
ちょっと我ながら無謀だったと思う。反省。
テニス後は、駒場東大前から明大前へ。昔住んでいたところだ。
疲れたのでまっすぐ帰ろうかとも思ったが、せっかくなので、
母校の、そしてかつての住まいがあったところが気になり寄ることに。
そして、当時週3回以上通っていた「神戸ラーメン」のラーメンを
食べたくなり、井の頭線で明大前へ。思えば約10年ぶりの明大前。
通過することは何度もあったが、実際に降りるのは久々だ。
しばらくぶりの明大前は、もうまるで昔の面影はなかった。
まず、駅前がまるで違う。私がいた頃はもう狭い路地ばかりで、
大学へ向うまでに小さな飲み屋や定食屋、雀荘が密集していたのだけれど、
いまはすっかり広く区画整理され、ドトールやスターバックス、
大手居酒屋、ファミレスがある。何より駅の改札を出るとすぐに
甲州街道、そして校舎が見えるではないか。これには素直に驚いた。
そんな、かつては存在しなかった大通りを通って神戸ラーメンへ。
明大の和泉校舎のすぐ隣。場所は変わっていなかったが、
食券を事前に買う、自動ドア、そしてメニューが変わっていた。
なにより麺が細いストレート麺から中太ストレートへと微妙に変化。
スープは昔のままだったが、細麺を期待していた&大好きな私なので、
おそらくいまの自宅からわざわざ足を運ぶことはなさそうな気がする。
少しさみしいが、仕方ない。
せっかく来た明大前。なのでかつて住んでいたアパートを見に行った。
そこまでの道のりは覚えている。なつかしさに浸りながらとぼとぼ歩く。
よく使っていた郵便局も発見。仕送りを引き出していたところだ。
あと少し歩けば、あのアパートに着くはずだ・・・。
と思ったのだが、なぜか全然見覚えのない場所に。
「あれ?この辺なんだけど」と記憶をたどり、もう一度郵便局へ戻って
そこから歩く。でもたどりつかない。
・・・たしか大家のばかでかい家があって、向こう側には灰色の
マンションがあって、その間が私のボロアパートだ。
ん?灰色のマンション??これか!でも大家の家もアパートもないぞ・・。
大家の家、そして私のアパートはもうなくなっていたのである。
跡地には3軒の一戸建て。一戸建てというのがはばかられるほど
狭いところに立てられた3つの家。大家の老夫婦は当時80代。
しかもあの頃から病弱で入退院を繰り返していた。推測の域を出ないが、
おそらく老夫婦は亡くなり、相続されず家、アパート共に売却されたのだろう。
敷地が広すぎ、相続税が払えなかったのかもしれない。
理由はともかく、またひとつ、昔の思い出の場所が消えた。
もう少し歩いてみよう。そう思い、当時よく訪れていた、
坂の上まで歩く。公園でもなんでもない。井の頭通り沿いの
なんでもない場所なのだが、その坂の上からは新宿の夜景がよく見える。
散歩、そして嫌な事があると、私はいつもそこで輝くビル街を見ながら
よく酒を飲んでいた。
その場所だけは当たり前だがそのままだった。夜景もよく見えた。
あの頃のことがよみがえる。ひとりぼっちで荒れていた、19、20の
思い出したくもないあの2年間。
30分くらいだろうか。いろいろなことを思い出し、感傷に浸っていた。
帰り道。明大前から自宅までの電車の中。ずっと当時のことを考えていた。
そうして思い出したあれこれを、明日以降書いていきたいと思っている。
今日のひとこと
「倒れたとき、助け起こすのが友情。ともに倒れるのが愛情」
(出典不明)
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